通説編第1巻 第3編 古代・中世・近世


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第3章 幕府直轄下の箱館
第8節 ゴロウニン問題と高田屋嘉兵衛

ゴロウニンの捕縛/ゴロウニン箱館へ護送

福山拘禁/リコルドの再航

観世丸の拿捕

嘉兵衛カムチャツカへ/嘉兵衛の帰国/幕府の諭書

ゴロウニン福山から箱館へ/ディアナ号箱館入港

釈放の交渉会見

イルクーツク民政長官の書簡/ゴロウニンの釈放

ディアナ号箱館出帆

イルクーツク民政長官の書簡   P481

 この時リコルドが提出した民政長官の書簡は、非常に長文にわたるものであるが、その一部を要約すると、「(文化五年)六年前オホーツクの埠頭に、フォストフ及びダヴィドフの商船二隻到着いたし、此船がクリリッケ諸島なる日本領の村落を襲ったよしなので、我帝王に奏したところ、右悪事を相怒り、その上彼らは我侭にあえてロシア政家の名を用いた事跡を承り、厳しく吟味いたし、国法の刑罰を行なったため、最早や存命仕らず」とあり、更に「日本御政家にて、右のフォストフ及びダヴィドフの我侭なる仕業は、ロシア政家の命に依って仕候儀と思召され候とは存じ奉らず候儀は、敦厚ロシア帝王不適の儀、且其仁義ある情態に遠ざかり候事に御座候。奉使を受けさせられざる儀に報い、日本の村落に乱妨して平人を苦しめ、其上二艙の小き商賈の船を、我帝王の公事を以て差遣候と申儀は、実々不相当の儀に御座候」と、フォストフらの乱暴はロシア政府の意図でないことを述べ、またオホーツク長官の書簡には、フォストフらの略奪した兵器・財物は散逸して収集し難い旨を述べているものであった。

ゴロウニンの釈放   P481−P482

 以上にして松前奉行は、ロシア側の謝罪を諒とし、文化10年9月26日、リコルドを沖ノ口番所に招き、ゴロウニンら一同を引渡すとともに、通商は国法で厳しく禁じている旨をさとし、左記の諭書を渡し、帰国の上これをロシア政府に提出するよういい渡した。

        松前奉行より可申諭
我国むかしより、其国と仇もなく怨もなし。其国の船蝦夷の島を乱妨せしによりて、我国にても守備を設け、くなじりにて、其国の者どもを捕へたり。推問する及んで、先年乱妨を致せしは、其国役人の知らざる所にて、海賊の所為なりという。然れどもいまだ信用にたらず、此度其地の役人より書を贈りて其証をあらはし陳謝する所、我を欺ざるを知れり。此故にわれも又疑念を散じて、ここに其国の者どもを帰し、互に憾を遺さず。抑外国とあらたに通信通商を議する事は、我国の禁にして、許さざる事、往年其国より長崎に来れる時、委しく暁諭せしが如し。我国の浦々はいうに及ばず蝦夷島々においても、異邦の船見ゆる時は、銃丸を以て打払う事、是我国の掟厳にして違う事なし。されば此度の事に託して、通路を求めんとして推して来るとも、益なくして過ちあるにいたらん。よりてあらかじめ諭し知らしむる所也
        文化十年九月廿六日
                                       松前奉行(朱印)

 これは幕府の意図に基づいての諭書であるが、このほかに同日付で、松前奉行支配吟味役高橋三平・柑本兵五郎から、申諭すべき趣の文書も交付された。
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