通説編第1巻 第3編 古代・中世・近世


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第3章 幕府直轄下の箱館
第8節 ゴロウニン問題と高田屋嘉兵衛

ゴロウニンの捕縛/ゴロウニン箱館へ護送

福山拘禁/リコルドの再航

観世丸の拿捕

嘉兵衛カムチャツカへ/嘉兵衛の帰国/幕府の諭書

ゴロウニン福山から箱館へ/ディアナ号箱館入港

釈放の交渉会見

イルクーツク民政長官の書簡/ゴロウニンの釈放

ディアナ号箱館出帆

ゴロウニン福山から箱館へ   P478

 こうして予備交渉が成立したので、嘉兵衛は福山に戻っていたが、命によって8月11日福山から箱館に至り、ロシア船の来航を待った。一方、この間松前奉行はゴロウニンらを福山から箱館に移すこととし、8月17日福山を出発して20日箱館に着いたが、この時、南部・津軽両津の士卒を箱館および付近の警備に当らせている。

ディアナ号箱館入港   P478−P479


ディアナ号 「北夷談」付図 (文化9年松田伝十郎著)
 ディアナ号は9月11日ようやく絵鞆に到着、ここで嘉兵衛があらかじめ差向けておいた部下の水夫平蔵を水先案内として乗込ませ、同16日夜箱館港外に停泊したが、嘉兵衛は早速小舟に乗ってディアナ号を訪れ、連絡をとって翌日箱館入港の手はずを取り決めた。
 箱館としては、寛政5(1793)年ラックスマンがエカテリーナ号に乗じて入港して以来、実に20年目の異国船の入港であったから、予知されていたこととはいえ大変なことであった。南部藩は備頭下田将監以下180余人をもって、沖ノ口番所・弁天倉庫地・山背泊台場・立待台場を守り、津軽藩は物頭牧野徳一以下150余人で、当別および矢不来の台場を守り、有川、七重浜、亀田は箱館付在住同心がこれを守った。16日夜ディアナ号が箱館港外に停泊した時などは、対岸一帯のかがり火の光が海波に映じてすさまじい情景であったという。この日松前奉行服部備後守貞勝も箱館に来着し、翌17日いよいよディアナ号は箱館に入港した。
 リコルドの上陸に先だち、嘉兵衛が官命を帯びてディアナ号を訪問、オホーツク長官の書を受領、9月19日正午12時、奉行所差し回しの飾船(儀礼艇)で、嘉兵衛が先導し、リコルドは陸岸に向かった。なおこの儀礼艇には選抜された16人の日本人舟子が乗っていたが、そのうちの大半は当時有名な箱館の大商人で、近々とロシア人を見たいという好奇心から、嘉兵衛に頼んで引受けたものであった。
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