通説編第1巻 第3編 古代・中世・近世


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第3章 幕府直轄下の箱館
第8節 ゴロウニン問題と高田屋嘉兵衛

ゴロウニンの捕縛/ゴロウニン箱館へ護送

福山拘禁/リコルドの再航

観世丸の拿捕

嘉兵衛カムチャツカへ/嘉兵衛の帰国/幕府の諭書

ゴロウニン福山から箱館へ/ディアナ号箱館入港

釈放の交渉会見

イルクーツク民政長官の書簡/ゴロウニンの釈放

ディアナ号箱館出帆

福山拘禁   P472−P473

 福山に拘禁されてからは、しばしば松前奉行荒尾成章自ら尋問を行った。尋問の要旨は、先年ロシア人の樺太、択捉などへの来襲はロシア政府の命令によったものかどうか、ゴロウニンの来航もこれと関係がないかどうかにあった。これに対しゴロウニンは、フォストフらの行動は、ただ彼らの利益のために行ったもので、決してロシア政府の関知するところではないと弁明した。しかし、何分にもロシア語をアイヌ語に、アイヌ語を更に日本語に翻訳して通弁するのであるから、意思疎通は困難なものであったが、ともかく奉行はゴロウニンの弁明を了解し、文化9年春から待遇を寛大にするとともに、幕府に対し捕虜の釈放を願い出たのである。しかるに幕府はこれを許さないばかりか、なおロシア船が蝦夷地に来るならば容赦なくこれを打ち払えと命じた。ところがこのことがゴロウニンらの耳に入ると大いに失望し、3月25日未明ゴロウニンをはじめ6名(ムール、アレキセイを除く)が脱獄を企て、6晩海岸、山中をさまよった末、ついに4月4日木ノ子村(現上ノ国町)で再び描えられた。

リコルドの再航   P473


リコルド
 一方、ゴロウニンの救出を誓って去ったディアナ号副艦長リコルドは、文化9年8月3日、これより先、文化4年フォストフに捕えらわた五郎次および文化7年漂流した、摂津の商船歓喜丸の乗組員与茂吉ほか5名を連れて再び国後の泊に来たが、国後在勤調役並太田彦助らがこれを見て厳重な陣固めしてこれを迎えたので、リコルドはこれを遠望して近づきかね、翌日歓喜丸船頭1名を上陸させて会見を求め、拒絶されると五郎次を派遣して再び交渉させた。五郎次は自ら中川良左衛門と名乗り、千島の有力者を装い、5年間ロシア滞留中にロシア語も解するようになっていた。ところが彦助は五郎次に、ゴロウニンら捕虜はみな殺しにされた旨を答えさせた。しかし、リコルドはこれを信ぜず、ほかに信頼に足る日本人を捕え、その真相を確かめるため日本船の往来をうかがっていた。
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