| 通説編第1巻 第3編 古代・中世・近世 |
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第3章 幕府直轄下の箱館 開墾事業 |
開墾事業 P433−P435 蝦夷地御用掛の有司は、箱館近郊の開墾事業にも意を用い、寛政12年以来、水田その他種々の農作を試みている。その収穫も相応にあったので、箱館奉行は将来の見込み充分ありとして、文化元年土地を選定し開墾の事を幕府に伺いを立てたところ、8月許可の指令に接した。そこで調役山田鯉兵衛、下役村上次郎右衛門、石坂武兵衛、在住勤方代島剛平を掛りとし、その外用達、用聞にも命じ、諸国のうち農民過剰の所から希望者を雇い入れ、移住させ、小屋をつくり、農具などを与えて、文化2年から開墾に着手した。その結果、この年1か年に成功したところは、新田で庚申塚(現大野町本郷)90町歩、文月(現大野町内)50町歩、畑は濁(にごり)川(現上磯町内)15町歩、庚申塚3町5反歩、文月1町5反歩に達する開発をみた。しかしながらその費用はすこぶる多額にのぼったので、評議の上、官船の収益をもってこれに当てることにした。なお、何人でも開墾を企てる者があれば土地を割渡してこれを奨励したので、同3年、4年にも引続き開拓に当たる者が多く、従って新たに村落を形成して地方の繁栄に加え、箱館の発達を助長する要因をなした。いま当時の新開の村落を挙げれば次の通りである。 本郷 前記庚申塚の地で白川栄右衛門なる者が頭取で、白川郷ともいい、鍬頭は越後から来た内田藤兵衛という。
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