| 通説編第1巻 第3編 古代・中世・近世 |
||
|
第2章 松前藩政下の箱館 衣食住 |
衣食住 P416−P417 享和元(1801)年の『東夷周覧』によれば「諸国より商船出入し、諸国の産物坐(いな)がらにして是を得」とあって、江戸中期のこの時代でも衣食住の大方は、本土からの供給によって支えられていた。
食糧については、元文2(1737)年に来道した坂倉源次郎が著わした『北海随筆』には、「米は津軽、秋田、酒田、越後、加賀、能登より廻し、御領主は酒田御廻米の内にて四千五百俵買請、米にて時の相場を以て代金上納也。其外は船入運上米有り、商人より百姓へ仕送り米あり、米生ぜざる所ゆえ、却て諸方より米入船沢山にて、下賎者とても麦を食わず、かてを食う事を知らず」云々とあり、『津軽見聞記』(宝暦8年著)にも「津軽の商人より松前へ米送り、例年凡そ四万俵許」と見られ、主食としての米には不自由はなかった。しかし飢饉の時に備え、藩では後に備米制度を設けた。 副食としては魚類が豊富で、近海から鰊、鱈、鰯、鰤などがとれ、また亀田からは牛蒡、大根、瓜、茄子なども相応にとれ、大豆、小豆、粟なども生産された。 住居については、『蝦夷島奇観』の絵によれば、土蔵や白壁の家らしいものも見られるが、その多くの家屋は屋根にたくさんの石を上げている。この屋根に石を上げておく葺(ふき)方は、幕末から明治時代にかけても行われ、外国人の記録にしばしば見られる。 |
|
| 「函館市史」トップ(総目次) | 通説編第1巻第3編目次 | 前へ | 次へ | ||