| 通説編第1巻 第3編 古代・中世・近世 |
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第2章 松前藩政下の箱館 教育/文芸/絵画・刀剣
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教育 P413 商業が盛んになり、寺社の建立が続き、急激な発展をみせつつあった元禄以降の箱館に、寺子屋教育の発端がみられたと思われるが、今のところ、その記録は発見されていない。文芸 P413−P414
称名寺境内に現存している芭蕉の汐干塚といわれる句碑には、「安永二年春三月□日 村山□□□建之」の銘があり、「青柳の泥にしたるる汐干哉」の芭蕉の句が刻まれている。句は、芭蕉門人ら編の『炭俵』にある上巳の句だから、3月3日に建てられたものらしい。安永2年は、芭蕉死してより80年目に当るから、同好の士が称名寺に集い、追善句会などを修し、当時箱館湾内の汐干狩を遠望できた同寺境内に、この句碑を建てたものであろう。 銘の村山とは、村山利兵衛のことである。利兵衛は、松前の場所請負人である村山家の女婿で、5代目を継いだ人という。彼は、越前敦賀から入婿し、病気のため敦賀に帰ったといわれる。 いずれにしても、安永の当時、土地の人々を勧誘しての文芸活動が行われたことは注目される。 絵画・刀剣 P414 寛政3(1791)年に渡来した、筑後柳川藩医淡輪(たんなわ)元朔の『東奥遊記』によれば、「画師某に逢い酒を飲み」「画師名玄竜という」「函館(ママ)の旅亭に帰り、画人玄竜の画く所の、許由巣父之図を観る」などとあるから、寛政年間に画家のいたことがわかるが、地元人か旅人か不明である。また同書には、箱館の町年寄白鳥家の優雅な生活ぶりが散見され、「主人蔵するところの剣数十を出して示す。三条家近、信国、助国、月山、近江守貞次、米国次の作あり、甚だ珍なり」「主人、書画を出して視す」「主人余の書を請う」などとあり、町人の文化意識を知る一資料として興味深い。 |
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