| 通説編第1巻 第3編 古代・中世・近世 |
||
|
第2章 松前藩政下の箱館 箱館山の薬師信仰/下海岸方面の社寺/円空・空念の渡来/キリスト教/供養碑の建立 |
箱館山の薬師信仰 P410 『蝦夷島奇観』によれば、元和2(1616)年、河野政通の子孫で良道阿闍梨という出家が、箱館山に金銅の薬師仏をまつり、河野家の長久を祈ったとあるが、その跡はいまのところ不明である。また『蝦夷実地検考録』には、山に医王山明神があるとし、明暦元(1655)年草創、元文4(1739)年再建と記している。更に『寺院明細帳』では、もと尻沢辺に鎮座していたものを山に移したとあり、諸説いずれにあるか不明であるが、しかし古くから薬師仏の奉祀があり、そのため薬師山といわれるようになった。下海岸方面の社寺 P410 志海苔八幡神社は天正年間(1573 1591)、銭亀沢八幡神社は正保元(1644)年、根崎川濯(かわそそぎ)神社は寛文4(1664)年、古川尻川濯神社は明和元(1764)年、石崎八幡神社は明和8年それぞれ創建されたと伝えられる。なお、石崎八幡社は永享の鰐口があるので、永享年間を草創時としているが、鰐口は文化年間の出土品で関係がないように思われる。石崎の勝願寺(浄土宗称名寺末)は明暦2年に、僧求道が建て求道庵といい(大正9年寺号)、銭亀沢の大願寺(称名寺末)は創立年代は不明だが、もと上湯川にあって念称庵といい、明和2年に現地に移った(大正7年寺号)。 円空・空念の渡来 P411
根崎川濯神社の円空仏は、昭和50年8月29日、たまたま絵馬の調査のため同社を訪れた、函館工業高等専門学校渋谷道夫助教授によって発見されたもので、像の全長44センチメートル、表面はかなり摩減しているが、衣紋や体の線、更に、1本の木を半分に割り、鉈(なた)で削って彫り上げた円空特有の作風である。これまでに渡島管内では所々に発見されているが、函館で発見されたのは、これが始めてである。 また、宝永元(1704)年に渡来して、道南の寺社に納経して歩いた越前の禅僧空念は、同年4月亀田に来て、称名寺と高龍寺に経を納めた。市立函館図書館には『正光空念納経記』が蔵されている。 キリスト教 P411−P412 元和年間に、イエズス会所属のアンジェルスとカルバリオが、松前地方に来て布教しているが、箱館や亀田に信者が存在した形跡はない。切支丹禁制令はしばしば出され、天和2(1682)年5月には「はてれんの訴人 銀五百枚」(『松前福山諸掟』)と懸賞が出されている。また元禄4年藩主から亀田奉行への覚書には「切支丹宗門改の時分、念入候様、名主五人組共に能々申付べく候事」とある。供養碑の建立 P412 宝暦3年、亀田奉行酒井伊左衛門喜澄が称名寺境内に、河野政通の供養碑を建て、寺に供養料を納め、毎月8日に回向してもらうこととした。碑の正面には「捐館(えんかん) 高峰院殿加屋凌雲大居士 神儀」と刻まれている。また同7年、茅部場所(森町字本茅部)に鰊供養塔が建てられたが、その願主は箱館の佐藤彦左衛門である。 |
|
| 「函館市史」トップ(総目次) | 通説編第1巻第3編目次 | 前へ | 次へ | ||