| 通説編第1巻 第3編 古代・中世・近世 |
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第2章 松前藩政下の箱館 銅代物替/俵物移出の始まり |
銅代物替 P373 当時、長崎を通じて行われたわが国の、清(しん)国やオランダとの貿易は、生糸の輸入が主で常に輸入超過となり、そのため、多額の金銀が国外に流出するという状況にあった。そこでわが国は金銀の流出をおさえるため、貞享元(1684)年貿易額を制限し、その一部を銅代呂物替(どうしろものがえ、銅代物替)と称して、銅によって貿易決済をすることにしたが、この銅も払底し、元禄11(1698)年その代物替品として採択したのが、この長崎俵物で、すなわち、俵物とは煎海鼠(いりこ)・干鮑・鱶鰭(ふかひれ)の3品と昆布・鯣(するめ)・鶏冠草(ふのり)・所天草(ところてんぐさ)(心太草、てんぐさ)・鰹節・干魚・寒天・干蝦・干貝の諸色海産物である。俵物移出の始まり P373−P374 この俵物が本道から移出されるようになったのは、元文4(1739)年からである。すなわち、元文四末年十一月十一日、本多伊予守様御城に於いて、松前安芸守様へ仰せ渡され候は、銅払底に付、長崎唐船に相渡り候銅何卒か減少致し、外に代物替にこれ有る旨に候処、松前の煎海鼠専ら外国へ向け候。之に依て松前より長崎へ廻し候様に仕るべき旨、御老中様より仰渡され候得共、急度仰渡され候筋にはこれ無き由、伊予守様仰聞かされ候旨、安芸守方より委細申越し侯趣、申正月相達す。依て同年秋、煎海鼠正味百三十斤入四百四十本、串鮑八百四十四束、昆布六千駄、鯡身欠四千入三本、トコロテン草八貫入五本、シユリ貝百斤入六本、都合六色、摂州大阪桑名屋民蔵船相雇い積入れ候処、登り順風これなく箱館湊に船荷物共に相囲い置き申し候。翌酉年五月朔日、順風に付、長崎へ廻り桑名屋民蔵船箱館湊出帆、煎海鼠並に積合せの荷物買上げ自分働にて調え兼難儀仕り候に付、御金二千両拝借願上げ候処、願の通り仰付けられ右荷物売立の代金にて二千両残らず上納仕り候(宝暦11年『御巡見使応答申合書』)。
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