| 通説編第1巻 第3編 古代・中世・近世 |
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第2章 松前藩政下の箱館 生産および流通の変化/藩財政の窮乏/税制改革/沖ノ口入品役 |
生産および流通の変化 P358−P359 この時代特に注目すべきことは、松前藩制が大きな矛盾に遭遇し、新たな改革策を迫られている時期でもあったことである。すなわち、前述のごとく松前藩の財政ならびに知行制の内容が、商人による場所請負制度への構造的な変化を遂げたぱかりではなく、一方、和人地における零細漁民の漁業経営も、宝暦・天明の飢饉以来、東北地方からの急激な移民の増加により、従来わずかに前浜での昆布・鰊・その他魚介類などの漁労に過ぎなかったものが、西海岸では追鰊といって熊石以北の蝦夷地に出漁する者もあり、また東部箱館近在にあっても、汐首岬を越え噴火湾沿岸部へ出漁する小漁民も急速に増加した。たとえば昆布採取についてみても、これまでは汐首以北に出る場合には、昆布船役を徴収されていたが、このころになると、改めを受けることもなく、勝手に蝦夷地に出漁する漁民が続出、また鮫取船も魚油生産を目ざして、東蝦夷地に出漁する者が多くなってきていた。 こうした生産構造の変化は、いうまでもなく移民の増加と、それに伴う本州商人の松前進出、更に畿内先進地帯での鰊魚肥需要の増大と、若越交易を中心とする本州諸港との商品流通の発達等と、相互にからみ合う中で生じてきたのである。 藩財政の窮乏 P359−P360 しかるに、これまでの松前藩の財政および収税体系は、以上のような生産ならびに流通両面での構造的変化に対応できる体制ではなかったのである。すなわち、藩財政は、基本的には大名知行権の主軸をなす、アイヌ交易の独占権を効果的に実現する中で確立することにあるが、藩政初期においては、幕藩体制全体の歴史的条件に規定されて、直領地での交易と砂金・鷹・材木の販売代・零細漁民の現物税・三港での入港税などにあった。従って流通商品も少なく、アイヌ交易品もわずかに獣皮・干鮭・蝦夷錦などという特産物に限定されている中では、実質的には砂金.・鷹等の収入が藩庫の主位を占め、財政基盤はすこぶる不安定なものであった。そのため、寛文・延享期以降、この肝心のアイヌ交易が不振に陥り、かつ砂金・鷹の生産が減少するに至って、藩財政は窮乏の一途をたどった。つまり、一方では著しい生産力の上昇をもたらしながら、その上昇分を合理的に収奪しきれないという、収税体系上の矛盾に遭遇していくのである。こうしたところから藩では、藩政改革の必要に迫られ、まずその手はじめとして行われたのが税制の改革であった。 税制改革 P360 この税制改革の主点とするところは、税目の拡大および税率の増大の2点であるが、前述のように従来東部箱館近海においての鰊漁では、百姓1戸より鰊7丸の鰊役をとっていたものを、享保4(1719)年から生産高の15分の1税に改正、更に享保6、7年ころには、薪役の増徴、昆布役・入酒役・出油役・穀物役・鱈取役・獣取役・人夫役等の増徴、新設を行った。このうち箱館近郷の漁民に大きな影響を与えたものをみると、東部木古内より汐首岬までの昆布船役は、1隻に付金4匁、ただし小船および亀田支配漁民が居ながら採取する時は同2匁、鱈取船役は、泉沢より亀田まで1隻に付金4匁、汐首以北へ昆布取に行く時は本昆布4駄ずつ、志海苔浜で取る時は志海苔昆布7駄ずつ、亀田在住漁民がヤゲナイで取る時は役金2匁(昆布12駄にて代納)、鮫取船が汐首岬以北へ行く場合は、1隻に付金2匁と1人に付油3盃(7合5勺)ずつの役銭などが定められた。沖ノロ入品役 P360 この改革が藩財政の再建に大きな役割を果したことはいうまでもないが、更に一連の役金新設の中でも、その後の藩財政に決定的な意味を持ったのが、享保20年の沖ノ口入品役の新設であった。この入品役は、いわゆる関税であって、従来の入港税としての入船役とは根本的に性格が異なったものである。新設当時は住民の反対に遭い、一時中止されたようであるが、延享5(1748)年売買価格の1分と決められて以来、藩の重要な財源の1つになっている。その後、安永6(1777)年1分5厘、天明6(1786)年2分となり、嘉永5(1852)年3分に増額されるまでは、この2分が沖ノ口口銭の税率となっていた。 |
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