| 通説編第1巻 第3編 古代・中世・近世 |
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第2章 松前藩政下の箱館 寛文の蝦夷乱と亀田・箱館 |
寛文の蝦夷乱と亀田・箱館 P349−P350 寛文9(1669)年夏、日高染退(しぶちゃり、静内)の酋長シャクシャインが蜂起し、各地において和人270余人を殺戮するという騒乱があった。その原因はいろいろ挙げられるが、要は和人に対する積年の不満にあった。松前藩では直ちに幕府に報告するとともに、士卒を国縫(くんぬい)に送って内偵し、酒井左兵衛に雑兵200を率いさせて亀田を守らせた。時に藩主矩広は、いまだ幼少で到底軍を指揮することができなかったので、幕府は矩広の従祖父松前八左衛門に命じてこれを討たせ、そして知将佐藤権左衛門をもって長万部に降伏させた。更に権左衛門は進んでピポク(新冠)に至り、シャクシャイン一味を誘降し、和議を祝すと称して酒を与え、その酔ったところをうかがって、巨魁14名を謀殺して平定した。それは寛文9年10月23日夜のことであった。さいわい亀田、箱館地方には、何ら直接の戦禍はなく終わっているが、しかし人心はすこぶる恟(きょう)々たるものがあり、津軽藩でも援兵を出して、福山(松前)を守って松前藩の後詰をした。その間、隠密牧只右衛門、秋元六左衛門の2人に命じて各地に派遣し、蝦夷地の実情を探索して書きつづったのが『津軽一統志』である。それによって当時の亀田、箱館の状況を挙げれば、次の通りである。 一 亀田 川有 澗あり 家二百軒余 古城有 一重塀(堀)あり |
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