| 通説編第1巻 第2編 先史時代 |
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第5章 有史の時代 古代の函館 |
古代の函館 P304−P306 歴史記録である『日本書紀』・『続日本紀』・『扶桑略記』に″渡島蝦夷″という記述がある。この渡島蝦夷が津軽海峡を越えた北海道のことを指したものかどうかについては歴史学者の間で一致をみていない。考古学による資料の研究も、歴史記録のように西暦の何年というようにその年代を定めることは難しいが、多くの事象と歴史記録との対比によって実年代を推定することが可能になってきた。城柵など記録に残った遺跡の調査によって、古代の資料が明らかになっているが、東北地方の末期古墳の時代から平安時代については、土師器の分類と伴出する鉄器類によって年代を推定できるようになった。
栗沢町由良遺跡、由仁町岩内遺跡の土師器は湯川遺跡のものと同じ第1型式であるが、整形や調整痕に違いが認められ、時間差がある。由良遺跡からは北海道では珍らしい甑(こしき)が出土している。これは米など穀類を炊飯した土師器で、関東地方では5世紀の中ごろから使用されるが、この甑の出土によって、稲作など農耕文化が入ってきたか、穀物を移入したか、いずれかによって北海道においても甑が使用されていたことがわかった。 古代の函館は、北海道で最も早く東北地方の末期古墳を築造した文化をもつ人たちが定住したところであろう。湯川遺跡の土師器は東北の土師器に比べて粗雑であるが、移入されたものでなく、移住者が作ったものであり、土製紡錘車によって糸を紡ぎ、織物も作っていた。しかし、このころの調査が進んでおらず、まだ、末期古墳も発見されていないので、当時の社会や集落について明らかでない。渡島蝦夷との交流は遺跡によって明らかである。函館にはそれ以降、歴史時代の遺跡は室町時代まで見ることができないが、平安時代後半の遺跡は上磯町久根別にある。久根別川口に近い上久根別遺跡である。この遺跡からはロクロによる糸切底の土師器と須恵器、擦文土器の古い形式が出土している。 |
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