| 通説編第1巻 第2編 先史時代 |
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第2章 文化のうつりかわり 道南地方の旧石器/マンモスの狩人 |
道南地方の旧石器 P171−P172
旧石器文化の性格を見極めるためには石灰岩洞窟を発見することがポイソトになる。酸性土壌や普通の段丘上等では石灰質の骨などは溶解するか分解して形をとどめることなく姿を消してしまう。生活文化を知るのに条件のよい石灰岩洞穴は、人骨や動物の残骸がそのまま残り、石器時代人がどのような動物を捕食していたか、またどういう人種であったかを知る手がかりとなる。上磯町の戸切地川流域は石灰岩地帯であり、旧石器の洞穴が存在する可能性もあるため、その発見を目ざして北海道大学の探検部も数回調査に参加したが、戸切地川の支流に洞穴があることを聞き込んだだけで、確認することができず、調査を中断している。標高193メートルにある未踏の旧石器文化が解明されれば、より一層北海道石器時代人の源流が明らかになるであろう。 マンモスの狩人 P172−P173 北海道の旧石器時代遺跡の分布には、2つのブロックがあったことは、本節で前に述べた。すなわち札幌低地帯と勇払原野を結ぶ線で遺跡の分布圏が二分されるが、最近縦長の石刃文化以前の時代で、ナイフ形石器を伴う文化が十勝の上士幌町と千歳市の三角山で発見され、又、すでに道南では樽岸の石器群にもナイフ形石器があって、これらと岩手県和賀郡大台野遺跡のナイフ形石器とを比較した結果、同じ系統の石器であることがわかった。ナイフ形石器は、日本の後期旧石器時代のうちでも古い時代のものであり、およそ2万年前のものと考えられている。千歳市の三角山、樽岸、岩手県の大台野を結ぶ文化圏を考えると、津軽海峡がまだ陸橋によって陸続きであったころ、地質学から見ると1万8000年前に海峡ができたといわれているので、海峡ができる直前ころに人類の交流があって、当時の函館はマンモスなどの動物とその狩人たちの通り道であったことがうかがわれる。 |
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