通説編第1巻 第2編 先史時代


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第1章 研究史の展望
第2節 ジョン・ミルンらの報告

外国人研究者と函館/シーボルト父子/ジョン・ミルン

エドワード・S・モース/トーマス・W・ブラキストン/その他の外国人研究家

エドワード・S・モース   P146

 エドワード・シュベスター・モースは、函館に来遊する前年の明治10年に東京の大森貝塚を発掘し、明治12年に英文『大森貝塚』と邦文『大森介墟編』の2論文を東京大学理学部の最初の紀要に発表しているが、日本考古学界で初めての学術報告書といわれている。この2人の研究を読み比べると、ミルンは大森貝塚をアイヌ民族が北海道に来る前に残した貝塚と考えたのに対して、モースはアイヌ人はエスキモー人やアリュート人と同じく土器を作らない人種で、大森貝塚人のように土器を作った人種をアイヌ民族以前のものであると考えた。更に人骨が野猪や鹿の骨に混っていたことから、日本古代人に食人の風習があると述べ、当時の日本人に大きな衝撃を与える結果となった。

トーマス・W・ブラキストン   P146−148


ブラキストン採集の石斧(市立函館博物館蔵)
 函館には文久3(1863)年から商事会社、製氷、製材等の事業を行っていたイギリス人トーマス・ライト・ブラキストンが来住していた。彼の名を冠したブラキストン・ラインは有名であるが、アイヌ民族や石器時代の遺跡調査の案内役をしていたことは意外に知られていない。ミルンやモースが函館で貝塚の発掘ができたのも、後記するようにヒッチコックが函館で収集品を見ることができたのも、ブラキストンの案内とアドバイスがあったからで、彼自身アイヌ民族や貝塚、竪穴住居址についても博識であった。彼が谷地頭で発掘した大形の磨製石斧はミルンの報告書に掲載されているが、今日でも珍しい石斧で、開拓使函館支庁仮博物場の時に寄贈され、現在も市立函館博物館に秘蔵されている。

その他の外国人研究家   P148

 明治21年の夏、アメリカ国立博物館員ロマイン・ヒッチコックが北海道を訪れ、根室、別海、斜里、網走、常呂、択捉、色丹、浦河、平取、遊楽部の各アイヌ人居住地を調査している。彼は1890年の国立博物館報告に「エゾのアイヌ民族」と「エゾの竪穴住居民」という2つの論文を書いているが、この中に函館のM・アベという人が集めた土器類と土偶の写真が掲載されている。彼は2つの論文に同じ写真を用いているが、それらはアイヌの祖先のものとして、ミルンと同じような考え方をしている。
 また、函館の石器を紹介した人にイギリス人宣教師ジョン・バチェラーがいる。明治10年に来函してアイヌ民族を研究し、著書も多いが、明治34年の『アイヌ人及其説話』に函館公園から発見された石棒の図が掲載されている。この挿図の説明には「伊斯都都伊・石の剣」とある。彼は石器時代の遺物についてアイヌ説をとっているが、シーボルトに始まるこれらの外国人研究家のアイヌ説は、明治41年に英文の『日本先史学』を書いたネール・ゴードン・マンローに引継がれた。

ロマイン・ヒッチコックの報告書″函館在住、アベ氏のコレクション″

ジョン・バチエラ『アイヌ人及其説話』と石棒(市立函館博物館) 明治16年6月8日函館公園内出土
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