通説編第1巻 第2編 先史時代


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序章 記録のない世界

先人の足跡

先史の時代/原始の時代/有史の時代

先史の時代   P137

 現在の研究では、年ごとに新しい事実が発見され、時代区分もこれまでと変わった考え方をしなければならなくなってきた。本州では先史時代の始まりが前期旧石器時代にさかのぼるようになっているが、気候的に寒冷であったせいか北海道の先史時代の始まりは後期旧石期時代からである。函館市内には旧石器時代の遺跡がいまだ発見されておらず、現在のところ新石器時代になってからのもので、土器や磨製石器が登場する時代でもある。以前には新石器時代を縄文時代と呼んでいたが、新潟県、長崎県、愛媛県などでそれまでの縄文土器よりも古い時期の土器が現われ、この時期を草創期と呼ぶ向きもあるが、旧石器時代の石器組成とも関連があるため、晩期旧石器時代になって土器が出現すると考える人もいる。いずれにせよ縄文文化より古い時期にも土器が存在するし、縄文土器の古い時期の遺跡が函館付近には多いので、今後も更に古い時代の遺跡が発見される可能性はないといえない。
 本州では縄文時代の次に弥生時代が続くのであるが、北海道には弥生時代という時代区分はなされていない。それは、本道には弥生文化とは異なった文化の時代が縄文時代に続くからである。

原史の時代   P137−138

 西日本から関東地方にかけて稲作農耕文化が縄文文化に代って急速に伝播したが、更に北関東から東北南部に広がり、東北地方北半部に至ると農耕文化の現象は希薄になってしまう。東北地方北部では土器の文様も依然として縄文が付けられているし、農具の存在も確証するまでには至っていない。ただ、土器に籾痕(もみあと)のあるものや、炭化米が発見されているだけであって、弥生文化の定着と考えるには、稲作農耕文化を証明する水田遺構とか木製品や青銅器などが発見されなければならない。東北地方北部では弥生文化の影響で籾や米が移入されたとしても、生産形態や生活様式を変えることはなかった。これは寒冷な気候条件などによる地域性があったからであろう。
 北海道では弥生文化の文物を受入れはしたが、生活の基礎は狩猟と漁労に置かれていて、金属器の導入によって漁労具が改良され、工具が発達する。石器は弥生文化の石器というよりも北朝鮮などに類似のものがあり、この時代は本州の影響よりも何らかの形で沿海州や北朝鮮などの影響を受けていたかもしれない。
 土器には依然として縄の文様が付けられていて、前半の土器は青森県などのものに類似するが、縄文時代には見られなかったカップ形土器やボール形土器が出現し、土器飾りには熊を意匠化したのが特色的である。
 このような特異な縄文のある土器の伝統は、本州の古墳時代になっても続き、古墳時代の後半になってから東北地方の文化の影響を受けて新しい時代となるが、ここまでの時代を続縄文時代といい、この特異な文化を続縄文文化と呼んでいる。

有史の時代   P138

 東北地方の後期古墳時代以降になると、わらび手刀や鉄斧(ふ)などが北海道に伝えられ、住居趾(し)の構造なども全く変わってしまう。土器も古墳時代の土師器(はじき)に似た擦(さつ)文土器が生産されるので、この時代を擦文期あるいは擦文文化の時代という。そして、中世の室町時代になって本州から移住者が増え、道南地方に館(たて)が築かれるようになると記録も残されてくる。
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