| 通説編第1巻 第1編 風土と自然 |
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第3草 生物の分布 ブラキストン論文/ブラキストン・ライン/八田三郎の研究 |
ブラキストン論文 P64−P65 生物の分布を考察する場合に、海峡の存在が重視されるのは、陸上生物の多くは海峡によって分布が阻止されることが多いためである。特に哺乳類、は虫類、両生類などは自力で海を渡ることは不可能に近い。また鳥類でもキジ、ヤマドリ、ミミズク類など飛翔(しょう)カの弱いものにとっては、海峡は分布上の大きな障壁となる。この点に着目して、日本列島における生物の分布について論究した最初の論文が、ブラキストンの「日本列島とアジア大陸の古代における連係を示す動物学上の徴候」(Zoological indications of ancient connection of the Japan Islands with the continent.Trans,Asia Soc.Japan,vol ]T,PP.126〜140)という報文で、日本アジア協会報告第11巻に掲載された(明治16年)。 トーマス・ライト・ブラキストン(Th.W.Blakiston)は英国陸軍砲兵大尉で、クリミア戦争に参加したこともあり、退役後は貿易商に転じ、文久3(1863)年から明治17年(16年とする説もある)まで日本に滞在、所有する商船3隻を使用して材木商をも営んだ。そのかたわら、鳥獣(はく)に趣味を持ち、自ら剥製標本を作って、米国のスミソニアン研究所、英国のブリティッシュ博物館、仏国のパリ博物館などに、しばしば寄贈していた。また、鳥類や哺乳類に関する研究論文を欧米の専門雑誌に幾度か発表もしていた。彼は、横浜と函館の間を、しばしば往復しているうちに着目していた本州と北海道の動物相の相違について、最終的に既発表の論文を整理し、いわゆる「樺太蝦夷半島説」の構想によって総括し、日本アジア協会へ前記の論文を提出したのである。 本州系のキジ、ヤマドリ、コゲラ、アオゲラ、カケス、エナガなどの鳥類およびイタチ、イノシシ、ニホンザル、ツキノワグマ、カモシカ、ヤマネ、アナグマなどの哺乳類は海峡の北に分布せず、シベリア大陸系のシマフクロウ、エゾライチョウ、クマゲラ、ヤマゲラ、シマエナガなどの鳥類およびエゾイタチ、エゾテン、シマリス、オオカミ、エゾヒグマなどの哺乳類が海峡を越えて本州に及んでいないという事実を挙げて、北海道は過去において樺太と陸続きの樺太蝦夷半島として大陸と接続し、津軽海峡をはさんで本州と対峙(じ)していた時代があった、というのがその論旨である。 ブラキストン・ライン P65 日本アジア協会というのは、当時の京浜地区に居住していた欧米知識人学者などの集まりで、明治9年、日本政府の招きで東京大学教授として来日していたジョン・ミルン(John Milne)も有力な幹部会員であった。ミルンは地質学、鉱山学、地震学などを講じ、また地震計を作るなど、今日、世界に冠たる日本地震学の黎(れい)明期に大きな貢献をした英人である。ブラキストンの学説は、当時としては非常に斬(ざん)新な論旨であっただけに、多くの学者に深い感銘を与えた。ジョン・ミルンも大きな感動を受けて、ブラキストンの業績を激賞し、その功をたたえて、津軽海峡を生物地理学上ブラキストン・ラインと呼称することを提案した。八田三郎の研究 P65−P66 日本列島北部の動物相が東亜温帯系とシベリア大陸系の両要素によって形成されていることは前述したところであるが、ブラキストンの投じた一石によって、両要素の境界線をめぐる多数の論説が続出した。中でも八田三郎の宗谷海峡説が最も重視されている。八田三郎はドイツ留学中、「北海道の動物地理」と題する論文を発表(大正2年)し、ブラキストンの哺乳類、鳥類の資料による主張を認めながらも、半島説および境界を論ずるならば、移動の全く困難な、は虫類や両生類の資料に基づくべきであるとして、樺太に分布しているシベリア大陸系のカラフトマムシ、カラフトトカゲ、カラフトヒキガエル、カラフトサンショウウオなどは北海道には産せず、逆に北海道に産するアオダイショウ、マムシ、シマヘビ、トカゲ、カナヘビ、アマガエルなどは樺太に分布せず、しかも、すべて本州との共通種であるという資料により、津軽海峡に比べ宗谷海峡をはるかに重視すべきであると主張した。 更に、八田三郎は、異なる生物群の分布を画一的に取り扱い、1本の海峡にその境界を求めることは無理であるとし、動物全般を見た場合、北海道をシベリア大陸系と本州系の混在地域と考えることが妥当であるとした。この見解は多くの専門家により支持されて今日に至っている。 |
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