| 通説編第1巻 第1編 風土と自然 |
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第3草 生物の分布 生物分布環境線/シュミット・ライン/宮部ライン/石狩低地帯(河野ライン)/ブラキストン・ライン/八田ライン/黒松内低地帯/函館地方生物分布の特質
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生物分布環境線 P56−P59 北海道およびその周辺を取り巻く生物分布の境界線については、内外の研究家により古くから論議されてきた。地理的分布上から見た函館の位置を明確に理解するためには、主な境界線のもつ意義の大要を知ることが必要であると思う。シュミット・ライン P59−P60
宮部ライン P60 館脇操は、千島列島内の亜寒帯と温帯との境界をエトロフ水道(エトロフ、ウルップ両島の間)に求め、昭和8年、恩師宮部金吾の名を冠し、宮部ラインとして発表した。エトロフ島まで分布している北海道的高木はエトロフ水道以北では完全に姿を消し、ハイマツ、ミヤマハンノキなどの低木地帯となる。石狩低地帯(河野ライン) P60 館脇操は、森林樹種の分布から、石狩低地帯を境として北海道を大きく二分し、この地帯より北東部を、南樺太、南千島を含めて温帯より亜寒帯への移行地域と名付け、南西部は本州北部と共通した植物相が見られるので温帯系域とした。また、河野広道は昭和8年、北海道に分布する蝶(ちょう)類を広く調査し、この低地帯をはさんで南西部には暖地棲(せい)種アサギマダラ、オオムラサキなど本州との共通種が多く、北東部には北方系の多いことを指摘した。また、この傾向は他の昆虫類にも当てはまるとし、虻(あぶ)類についても例示して境界線としての石狩低地帯を強調した。 ブラキストン・ライン P60 ブラキストンは、鳥類および哺(ほ)乳類について、シベリア大陸系と東亜温帯系の日本列島内における境界線を津軽海峡とし、過去における構想を総括して樺太蝦夷半島説を唱えた(明治16年)。(後述「3 ブラキストン・ラインとその周辺」参照)八田ライン P60 八田三郎はブラキストンの主張の一部を事実として認めながらも、後述するように、半島説を主張するな、移動の困難な動物の資料に基づくべきであるとして、は虫類と両生類を取り上げ、北海道産の大部分が本州との共通種であることを指摘し、宗谷海峡の重要性を強調した(大正2年)。更に八田は、動物全般については、北海道はシベリア大陸系と本州系の混在地とみるべきことを主張した。黒松内低地帯 P60−P61 長万部付近から黒松内を経て寿都に至る低地帯は黒松内低地帯といわれる。館脇操は石狩低地帯から南西部を温帯系域としながらも、その間に黒松内低地帯を重視した。黒松内の歌才(うたざい)には温帯種ブナの原生林があり、北限地となっている。つまり、これより南の渡島半島はブナをはじめ東北北部との共通種の濃厚な地域であるとし、これより石狩低地帯との間に介在する地域を温帯種が次第に姿を消してゆく漸減地帯とした。このことは草本にもほぼ当てはまることである。このように、北海道およびその周辺には幾つかの生物分布の境界線が論議され、それらの境界線はそれぞれ温帯から亜寒帯へ移行する段階とみるべきである。つまり、北海道の生物相は、東北地方から北上してきた温帯的要素が、道南から道北へと分布を広げ、他方、樺太や千島を経由して南下してきた亜寒帯的要素が、道北、道東から道南へと分布してきた過程の中で、両要素が混在することにより構成されたものと考えられている。過去の地殻(かく)の変動、海面の昇降などにより陸続きになったり、隔離されたりしながら、北海道が移行のかけ橋となり、そして、現代に適応した生物が生き残った、という地史的背景を考慮に入れなければならないことはもちろんである。 函館地方生物分布の特質 P62 従って、道南は北海道とはいえ東北北部と共通種の多い温帯北部に属し、函館地方はその南端に在って本州的要素の最も濃厚な地域である。このことが、函館地方の生物分布上の特質ということができる。つまり、北海道全体が本州系からシベリア大陸系への移行地帯であると概観されているが、津軽海峡より黒松内低地帯、石狩低地帯と北上するにつれて本州系の密度が希薄になっていく。本州系の最も濃厚な函館地方は、特に植物においては顕著で、種の数にして約75%が本州北部との共通種である。 函館の西方約80キロメートルの、檜山郡江差町字五勝手に、本州系ヒノキアスナロの北限地と、北方系アオトドマツの南限地とがほぼ隣接して存在していることは、この間の事情を端的に物語っていて、いかにも象徴的である。なお、両種の自生地は大正11年10月12日付で天然記念物の指定を受けている。
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