通説編第1巻 第1編 風土と自然


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第1章 地域概観
第2節 地域概観

消費型都市/卸売業/製造業/小売業/サービス業/観光/港湾/鉄道/航空/道路/行政/教育

消費型都市   P5

 函館市の産業別就業人口(昭和50年)を見ると、総数は133,541人で、第1次産業の就業者数は4.3%、第2次産業の就業者数は24.8%、第3次産業の就業者数は70.8%となっており、消費都市型の構成を示している。中でも第3次産業の卸小売・サービス等の就業者は49.1%を占め、都市梯能としては両業種が中心的な函館の経済機能であることが知られる。

卸売業   P5

 卸売については、函館市周辺の市町村の小売店は90%を越す商品を函館市内の卸売業者から仕入れている。函館から比較的離れている八雲・長万部等の小売店でも50%を函館の卸売業者に依存していることからも、道南の中心的経済機能を保持していることが知られる。

製造業   P5−P6

 函館市の製造業就業者数はここ数年減少の傾向にあるが、就業者数の14.8%を占めていることからみても、重要な機能である。函館市内では、函館ドック株式会社を除くと、1,000人を越す大工場は見られない。工場の大部分は20人未満の小規模零細工場であり、その生産性は極めて低い。工場数、従業者数、出荷額では食料品製造業(主として水産品加工)の割合が最も高い。しかし、国内大手水産品加工業者の生産の増加、原料産地の釧路・八戸の水産加工業の台頭などから、これまで道内における食料品製造の中心となってきた函館の水産加工業は、相対的にそのシェアを狭められてきている。
 業種の中で従業者数、出荷額で第2の地位にあるのは函館ドック株式会社とその関連、下請工場を主体とする輸送用機械製造業である。函館ドック株式会社は昭和47年函館湾の一部を埋立てて30万トンの乾ドックを増設した。
 このほか漁業資材として漁網・ロープを生産する繊維産業、船舶の内燃機関、水産食料品加工機械製造業の割合が高い。
 函館の工業は、いずれも北洋漁業の最盛期に、漁業と密接な関係を保ちながら発達してきたことから、北洋漁業の実質的な基地としての地位が低落しつつある今日では、特に漁業資材だけに生産力を傾けている企業は徐々に衰退を余儀なくされている。
 規模別では20人未満の工場数が全体の81.8%を占めているが、出荷額ではわずか23.4%を占めているに過ぎない。一方、100人以上の規模の工場数は1.8%に過ぎないが、出荷額では42.9%を占めており、その生産性の較差はかなり大きい。

小売業   P6−P7

 函館の道内都市に対する小売販売額のシェアは、昭和35年の6.3%から昭和51年の6.5%へと相対的に上昇する傾向にあることが認められる。同様にこのような現象は、道南2支庁(渡島・檜山)管内においても、そのシェアが昭和39年の69.1%から昭和51年の72.3%へと推移していることにも表われている。このような函館市の小売業の相対的な地位の上昇をもたらした重要な要因としては、ヒンターランドの道路網の整備、小売店の専門店化、消費者の消費行動の多様化などが考えられる。
 函館市の小売業の相対的地位の上昇傾向と同時に、経営規模の零細性、低生産性、過多性などの特徴も認められる。例えば昭和51年の1店当りの年間販売額、従業者数、従業者1人当りの販売額は道内各都市の中にあって最下低にある。このことは、従業者規模別構成比をとると一層明確になる。すなわち、1店当りの従業者数1〜2人の零細規模の店舗数の割合が道内主要都市の中で最も高く、約58%を占めている。このことは、函館市の小売店が生業的で、かつ補完的な家族経営店の多いことを示している。
 かつて小樽と共に北海道の市場を二分していた函館市の卸売業は、戦後札幌への経済力の集中、流通再編成等の影響を受けて、往年の威勢の面影はみられなくなってきている。今日の函館の卸売業の市場は、道内をはじめとして遠くは四国・九州と広い範囲にわたってはいるが、その市場構成比率は道内が全体の87.2%と圧倒的に多く、しかも、道内といっても函館市と渡島・檜山支庁管内市場で全体の約80%を占めていることから、函館の卸売業の存在基盤は道南の経済力・購買力に支えられているといっても過言ではない。

サービス業   P7

 昭和50年の国勢調査では、第3次産業の中で、卸小売業に次いで就業者の多いのがサービス業であり、全就業者の20.8%を占めている。昭和40年と比較すると、就業者数では6,516人、構成比で3.2%の増加を示した。これは、レジャー産業、観光産業の伸びによるもので、全国的には中規模都市以上の都市に見られる共通した傾向である。

観光   P7

 道南の観光資源には未開発のものが多いが、最近は大沼国定公園を中心とした観光事業の開発により、全国的にも知られるようになって覿光客の入込数も増加する傾向にある。昭和35年の函館市への観光客の入込数は約53万人であったが、昭和52年には約239万人となり、4倍の増加を示している。一方、横津山系を中心とした山麓(ろく)の観光開発は、多くの貴重な自然を破壊するとして憂える市民の声も多く聞かれている。

港湾   P8

 かつて北洋漁業の基地として、又、主として水産品の輸出入、移出入の最盛期と比べると、今日の函館港の利用度は大幅に減った。しかし、国鉄青函航路の利用は物資、乗客共に昭和50年までは年々増加をみたが、民間のトラック輸送、航空機との競合のため、その後再び減少し、本州−北海道の中継点としての意義は弱まってきている。昭和39年7月から開始された民間フェリーボートは、自動車輸送の増加、自家用車の普及等を反映して便数、隻数とも急速な増加をみせ、航路も当初は函館−大間のみだったのが、更に函館−青森、函館−野辺地の航路が増設されて、昭和48年には輸送車両台数約49万台となり、開設当初の昭和40年の約49倍の増加を示した。しかし、その後本州−北海道他港間の長距離フェリーボート航路の開設の影響を受けて、停滞傾向にある。
 輸出は函館ドック株式会社の新造船舶を除くと他は僅少なものであり、輸入ではアジア石油株式会社への原油と北洋材、南洋材等が大半を占めている。

鉄道   P8

 函館を起点とした鉄道は函館−旭川の函館本線、函館−江差・松前の江差線の2本の路線がある。函館本線の利用度は遠距離輸送に限定してみると、本道の中核都市への唯一の鉄道であることから高く、貨物・乗客共に増加の傾向にある。江差線は、その沿線の町村がすべて過疎化の進行している地域であること、また自動車の利用が増加していることなどから乗降客数は年々減少の傾向にある。函館市への通勤圏、通学圏といわれている地域の乗降客数は、昭和48年から52年の4年間に10〜20%減少している。

航空   P8

 函館空港の利用客は、空港設備の充実、ジェット機の就航によって年々増加している。現在開設されている路線は、東京−函館線、札幌−函館線、函館−奥尻線で、いずれの路線も利用客が増加している。特に昭和46年11月から東京−函館線がYS11型機からジェット機に切替えられて、所要時間が2時間40分から1時間15分に短縮されて以来利用客の増加が著しい。

道路   P9

 自動車交通が急増するに従って、道路の交通に占める地位は高くなった。函館はさまざまな交通手段の拠点としての役割を果たしているが、その一つが主要道路の起点となっていることである。交通量が最も多く、重要なルートとなっているのは国道5号線で、この路線は函館を起点として長万部−倶知安−余市−小樽−札幌を結んでいる。札幌への行程としては長万部から国道37号線で洞爺を経て国道230号線に入り、定山渓−札幌を走行するのが距離も短く、約5時間の運転ですむことからよく利用されている。道南の各地へはこのほかに国道228号線が松前まで、国道227号線が江差まで、国道278号線が尻岸内を経て森までの3本の国道がそれぞれ起点を函館に置いて敷設されている。道南各地へのこれらの国道はそれぞれに中核都市函館への動脈として機能している。

行政   P9

 北海道の中で最も高い行政的管理機能をもつのは札幌であるが、それに次ぐ機能をもつのは函館である。管轄区域別にこれをみると、函館税関など全道あるいは東北地方を管轄区域とするものが4機関、渡島・檜山の2支庁管内地区以上の管轄区域をもつもの30、渡島支庁管内だけのもの6、函館市周辺を管轄するもの4機関があり、広域的な機関が総数44に及ぶ。

教育   P9

 函館は古くから道南の経済的、政治的中枢機能をもつ都市として発達したばかりではなく、道南の文化の中心地としての機能も果たしてきた。今日も道南の多くの市町村は中・高等教育機関を函館に依存している。高等学校は公私立を合わせて12、更に高等教育機関である高等専門学校、短期大学・大学は5校あり、これらの高等教育機関には道南のみならず、全道・東北などからの学生が在学している。このような教育機関の函館への集中は、当然のことながら教育・文化施設も置かれ、函館市民会館を始めとして公共の教育文化施設が10か所に設けられている。また市営の体育施設も10か所に設けられている。道南への文化の伝達の機能をも果たす報道機関も函館に置かれており、北海道新聞函館支社を始めとする新聞社の支社・支局は8、NHKを始めとする放送局3がいずれも函館に置かれている。

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