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| 五稜郭空撮写真。少し前の写真なので,今と姿が違います。どこかわかりますか?答えはこちらです。 |
五稜郭は,函館山から約6q離れた函館市のほぼ中央となる場所にあります。この場所は,ちょうど浅いすり鉢の底のように低くなっている所です。
この五稜郭のある周辺は,今から約150年前の江戸時代終わり頃,箱館が開港された時は,たくさんの「ネコヤナギ」が生えていたようです。このため,別名「柳野(やなぎの)」と呼ばれていたように,当時は至る所が水はけの悪い湿地だったようです。
五稜郭は,函館市五稜郭町と本通1丁目にあります。また,地図上の場所では,北緯41度47分49秒, 東経140度45分24秒にあたります。
五稜郭という名前がついたように,稜堡(りょうほ)と呼ばれる5つの角があり,星形の五角形となっています。この上には土塁が造られ,また石垣も積まれ,五角形となる土塁と石垣の周りには,水堀があります。さらに,この星形の土塁の南西側には,半月堡(はんげつほ)または馬出塁と呼ばれる菱形状の土塁があり,その周りもまた水堀となっています。
五稜郭のような珍しい形は,約500年前の16世紀頃のヨーロッパで考えられ,その後,ヨーロッパの各地に造られた「城塞都市(じょうさいとし)」をヒントにしたものです。そこから,この形を「西洋式土塁」と言っています。また,このような形の五稜郭は,日本では,
函館市の五稜郭と長野県佐久(さく)市の龍岡城(たつおかじょう)の2か所だけとなっています。
五稜郭は,南西側が正面側で,一の橋と二の橋という2つの橋を渡って,五稜郭の中に入ります。また,この五稜郭の中を通り, 北側にある裏門橋を渡り,五稜郭の外へと通じています。
なお,五稜郭が造られた当時の絵図面には,橋が全部で5か所あったように描かれています。現在は3か所の橋がありますが,残り2か所については,どうやら明治2年(1869)の箱館戦争の時に,外されてしまいました。
2008年3月撮影。堀が結氷していて,五稜郭の形がはっきりとわかります。
五稜郭内の出入口にあたる所には, 外から五稜郭の中の様子を見えなくするための土塁の「見隠塁(みかくしるい)」があります。これらは,出入口の3か所にあり,正面と左右の両面には,石垣が積まれています。この大きさは,長さ約44m,幅約14m,高さ約4m60pと,3か所ともほとんど同じような形です。
また,五稜郭を形作る土塁は「本塁(ほんるい)」といいます。この土塁は,幅約27〜30m,高さ約5〜7mで,出入口にあたる正面や通路となる所は石垣積みとなっています。この石垣の中で,正面側の石垣の一番上には,石が一列飛び出しているところがあります。これは「はね出し」や「武者返(むしゃがえ)し」または「しのび返し」と呼ばれるもので,五稜郭の石垣の大きな特徴の一つです。さらには,
本塁と水堀の間には,幅約10m,高さ約2mの「低塁(ているい)」と呼ばれる土塁もあります。五稜郭の高さ(標高)は,13〜16mほどで,ほとんど平らな地面となっていますが,もともと湿地であったために,雨水が溜まりやすい所となっています。ただ,平らといっても,裏門側の北側が少し高く,正面の南側にかけて,少しですが傾きがあります。五稜郭の正面側に低い土手が見られますが,これは五稜郭が造られた時,堀からあげられた土を盛ったもので,「長斜坂(ちょうじゃざか)」と呼ばれています。
五稜郭の大きさは, 堀の内側は約125,500uと, 東京ドームの約3倍の広さがあります。また,水堀は約56,400u,さらに堀の外側で史跡指定の所は約69,000uの広さがあります。水堀の幅は最大約30m ,深さは4〜5mで,この堀の外周りは約1.8q の長さとなっています。
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函館市教育委員会生涯学習部文化財課
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рO138−21−3456 FAX0138−27−7217
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